vincent007's Blog

Americaにて四苦八苦奮闘記

突然のお別れ

気管虚脱であることに長いこと気づいてあげれず、その知識もなかったので、悪化し、気付いた時には多臓器の病気も併発していたらしく、結局寝かせることとなってしまった。14歳と半年生きた。もう十分生きたからいいじゃないといわれるかもしれないけれど、元気だっただけにショックは大きい。

行かせる心の準備はいつまでたっても出来ない。ペットがいれば必ずいつかは通らなければならない最悪の瞬間。
寝かせてしまった後に後悔してもしょうがないけど、何かもっと救う手立てはなかったのかと一日中そんなことを考えて、食事ものどを通らない。何を食べたいのかもわからない。とにかく最後に見たあの子の姿が頭から離れない。病院に送るときに大好物の鰹節を食べさせて送った。おいしそうに食べていたのに。食べる意欲も走ることもできたのになぜ眠らせなければいけなかったのか。本当に深刻な状態だったのか。薬で息をさせてくれることができたのではなかったのか。病院へは夫だけが行った。そのことも後悔している。あの子を見送ってあげることが出来なかった。そして先生に食い下がって頼めば生かす手段はいくらでもあったのではなかったのか。車の中から苦しそうに息をしながらも私を見つめていた姿はきっと一生忘れることは出来ない。病院から送ってきた夫からのメールには彼を眠らせるとあった。その時は理由も聞かされないままただショックだった。
 病院から戻ってきた夫のそばにあの子がいるのではないか。あの子の足音が聞こえて来るのではないか。でも聞こえてこない。とにかく何もかもが信じられなかった。朝起きてもいない。いつも台所にいて棚を開けるといつも下の方で自分も首を突っ込んで食べ物はないかと探していた。私が何か間違って食べ物を落としてくれないかと私の足元でちょこっと顔を私の足にくっつけて甘える姿勢のまま、床を身じろぎもせずじーっと見つめていた。わざと床にスイカを置いてあげると一瞬にしてそれをほおばっておいしそうに食べている姿を見て自然に笑顔になっていった。ほらほらMommy動けないじゃないの、じゃまよーと言いながらも幸せを感じていた。台所でなにやら物思いにふけっていてふとみるとあの子がじーっとまんまるいつぶらな瞳でこれまた身じろぎもせず私のことを見ていた。それを見て思わず吹き出してしまうことがしばしばでどんなにあの子に慰められたことか。今思えば私があの子に面倒を見てもらっていたみたい。
あまりにも当たり前の日常過ぎてそれがどれほど貴重な時間であったかに気付いたのは、あの子の足跡がもう聞こえなくなってしまった時だった。ちゃかちゃかちゃかっとフローリングの床をなかば飛び跳ねながら私の跡をついてくるあの姿はもう見れない。ちゃっちゃっちゃっと家の中を軽快に歩く音をきくと、あ、起きたね、あ、私のこと探してるね、あ、来たね、あ、見つかっちゃった、などという何気ない時間でさえ今思えば幸せな時間だった。食べることが大好きでお外が大好きでMommyとDaddyが大好きで、いつも私たちを見つめていたまんまるおめめがとっても可愛くて。
もう片方の子が何やら急に具合が悪くなった。兄弟がいなくなったので最初はちょっと困惑気味で、二人で寝ていた大き目のベッドに彼の場所を開けたまま寝ている。まだ家のあちこちにあの子の面影が残っている。朝起きるたびにいないんだと思って泣く。ソファーにはあの子が横たわっていた場所に毛が落ちている。裏庭にはまだ片づけていないあの子のPoopがある。それをじーっとみつめながら泣いた。最後に鰹節を食べたボールもまだ洗えなかった私の代わりに夫が洗ってくれた。本当にいい子だったのに何もしてやれなかった。片方の子が手がかかるのであまり手をかけてあげることが出来なかった。撫でてあげるととても喜んでもっともっととせがんできていたのに。あの子はもっと生きたがっていたのか。それとももう苦しくて眠らせてほしかったのか。答えが出ないままただ泣くしかない。もどかしく、悔しく、無力な自分がはがゆい。
とにかく何か食べて元気をつけなくては。あの子が帰ってきたときに笑顔で迎えてあげられるように。夫が言うには、寝かす時に二つの薬を入れたらしい。最初の薬で、夫の腕の中で夫を見つめながら、リラックスして、息苦しさもなくなって、二つ目の薬で静かに目を閉じて、眠っていった寝顔はとても穏やかだったらしい。それが唯一の救いだ。もう何もしてあげられないことが悔しい。 
せめて灰になって帰ってきたあの子に笑顔でお帰りと言って抱きしめてあげよう。

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